2009年6月13日土曜日

浪花節だよ人生は-ボルトとナット考

なんだかんだで4年来の友人と昨日はご飯を食べました。
彼はおそろしく気が利いて、多趣味で、お金の払い方もとてもスマートです。
お好み焼きだって上手にやいてくれるし、牛タンだってやいて、丁寧に葱をのせレモンをふりかけお皿に載せてどうみても万年ダイエット要の私に「しっかり食べなさいよ」なんていってくれる。
そんなわけで、、女子としては胡坐をかきやすい。。

もしも自分の彼がそうだったら、「あら、そう、それならお願いするわ。だってあなたってそういう人なんでしょ」なんて思うのも簡単じゃないですか。
俺の半分くらいは気を利かせろ、みたいな歩みより強制型の彼の恋愛話をきいていて、「なんだよ、こんなにまめにしているのって自分が好きでやってるんじゃないんだ、面倒くさいな、あんた」ぐらい思っていたのですがね。
食事のあとにワインバーにいき、この夜のためにはりきっておしゃれしている20代の中でうきまくりながらお酒をのみ、タパスバーにいってマルガリータ(イエス!)をのみしているうちに、
彼の本音トークが炸裂。

昔の大失恋にまだ祟られている。。南無ー。。

恋愛関係というのはどちらかがボルトでどちらかがナットのようでやっとうまくいくと思っている私です。
最初のうちでどちらがボルトでどちらかがナットかきまるというか。
電話をかけまくる(ボルト)、まんざらでもないから深夜まで電話でしゃべってあげる(ナット)。いつもデートのアレンジをする(ボルト)、趣味のいいところにつれていってくれるけれどもたまにつまんないときもあるから文句をいう(ナット)。
自分の形状を変えるというのは無理なんですよ。
「以前の彼女がね、自分の電話をみたりしてね、そういうときに自分が疑いをもたれるような行為をしたんじゃないかって反省しちゃうんだよね」だって。完全にボルトですよ。
かくいう私もボルト型のスタートをきった関係を今保っているところです。
ナットに変異したいと画策しているのですが、元ナット(肉食)は首をかしげながらもまだ自分がナットと信じている鷹揚なところがあります。なんだかだいわれても、結局自分は愛されているというような(意味不明の)自信があるというか。

「情熱的な恋愛は以前の大失恋でもうこりごりなんだよね」
ボルトたるもの情熱なくして幸せはこないぞ!と意味のない説教をしてみたのですが、聞く耳もたず。
昔の彼女と今の彼女は別個体だけれども、以前の大失恋は自分がボルトだったせいだから、みたいな不安が見え隠れ。同情するけれども、しかたないよね、今の彼女も完全にナットになってしまっているんだからさ。
はたから聞いているといい関係を築いていると思うんだけどね、の言葉に「うん、僕もそう思っているんだよね」て、さよか。うん、よかった。
そういういい顔できるのなら、よかった。

今頃目を覚まして恥ずかしがっているんじゃないのかなー。
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