

一人の夕食でした。そのあと私はお友達とメキシカンだったので
軽めにごはんを食べてあまりがっつかないようにしました。長いもがほとんどで小麦粉は最小限です。玉子、出汁、葱、紅しょうが、そして絹さやを千切りにして。具がたりなくて急遽投入した絹さやがぽりぽりと楽しい食感になりました。

さて、どのおうちでもあるかもしれないジレンマですが。。以前私が平均13時間労働していたときのことですが。寝るだけの家でも汚くなったものです。それでも一週間に一度は床を拭き、ベッドシーツも洗い、お風呂もできるかぎり毎日洗うというのが当たり前と思っていました。それが自分の生活を営む上で、気にしなくてはいけないことだと。
でもね、最近の肉食は一週間に一度の床掃除もさぼる。「いつやるの」と聞くと「やるやる」といってやらない。テレビをみる。コーヒー一杯いれてもらうのも高圧的に頼まないといけない。私が全て家事をしても気がつきやしない。なーんにもないの。
で、考えました。2人で生活している意味とは、、と。経済的に助かる。これは確かに。2人でご飯を食べる。2人で快適に暮らす。かけば3つしかない。でもね、手間もかかるの。気をつけないとすぐに家はよごれる、毎日料理してご飯を家で食べるのは買い物にいかないといけない。肉食(彼)は最近暇(そうにみえる)私がやって当然と思っている。
確かにそうだね。肉食(彼)は間違っていない。ただ1点を除いては。私は主婦でもメイドでもないということ。全体的に家をまかされている主婦だったら誇りをもって全て引き受ける自信はあるし、メイドならばお給金をもらって個人的な感情はなく働くだろう。

もしかしたら、本当に忙しいのかもしれない。だからそう思うことにしたと、只今宣言いたしました。1人称複数でやらねばいけないことはなにもないと。家は2人で快適に整えねばならない、2人で会話をする時間をみつけねばならない、2人でご飯を食べねばならない。2人で食品の買出しに週1でいかねばならない。2人で楽しい時間をすごさねばならない。2人がお互いの為を思わねばならない。もうそう思うのはやめたと。そうしたら自分でしめてしまっていた首がすっと楽になった。妥協ではなく諦め。時と状況がかわればカプチーノの泡も形を変える。それでも味はあまりかわらない。そういうものかもと、人生も。
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