2011年6月23日木曜日

向かうところ敵なし-父の日

こんにちは。先週末は父の日だったのですね。
なんとなくですけれども母の日よりも父の日のほうが華やかさにかけるのは日本もシンガポールも同じだったりしています。
なんででしょうね。

と理由を考えてみたときに
直接子供の世話にかかわるのは母親のほうが比率が高いということと
例外はあるにせよ物理的にも社会性にかかわることは母親から学ぶことのほうが多いからということにあるのではないかと思ってみたり。

絶対私の父親がしてくれないこと

肉食とけんかしたときの愚痴をきくこと。

母親だったらこうしなさいああしなさいといってくれるのに
父親はほぼ無視であります。

確実に父親がのってくる話

宇宙と素粒子の話

今日朝電話がなったときにオフィスで仕事が始まっているだろう父親は30分かけて
太陽の核分裂のすごさとおそろしさ
ダークマターのおそろしさ
光の速度のすごさ
を楽しそうに話していました。

こういう男性が父親で本当によかったと思います。
お父さんいつもありがとう。

肉食にこれが自分の息子だったら
クラスになじめるか心配で仕方ないだだろうなあ、父親という関係性でよかったぜっ
といったところ
君は俗なことにばかり気がいっているから
俗っぽくない人の気持ちはわかるはずがないぜ
なんていもしない息子と父親の肩をもたれて
あほくさい思いをしましたが

平気で穴のあいた靴下をはきつづける肉食と
わたりあえる私は
精神的影響をもしや父親からうけたのではないかと
はっとしたわけであります。

なんつーか人のこと気にせずいきていけるのって楽そうですよね。

Mさん、Sさん、私の男性の好みの不可思議さは
こういうところにあるわけです。
おわかりいただけましたでしょうか。
パン、おいしかったですね。またご一緒させてください。
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