2013年3月20日水曜日

命に対する敬意について

長い文の上、つらい内容の話なので、
ちょっとそれはという方はスルーで。次回から普通に食べ物ネタに戻ります。


なんだかんだいっても私が一番のごまちゃん(私もよん、あなたが一番)。
肉食はうわごとのように
自分の犬がほしいといいます。

自分で面倒みるならご自由にどーぞ(とかいって在宅仕事の私がやらされるはず)という
スタンスだったのですが、
先日フェイスブックで

ペットファームが店じまいのため交配に使われた犬の里親募集します。
もしも里親がみつからなければ近日中に殺処分(字でかくとさらにおそろしいですね。)
するので、どうぞ皆さん来てください。

という投稿を発見。
これはいかねば、と思ったのは
私たちだけではなく、他の愛犬家もたっくさん現地にきていました。

何匹も小さな、5歳以上のメス犬がいました。
みんなどうみても何度も何度も妊娠、出産を繰り返したからだをしています。
白いはずの犬もみな真っ黒。
ひどい皮膚病なものもあり、目がほとんどみえていないものもあり、うるさいからといって声帯を処理されてしまったものもあり。

やるせなさと同時に本当に久々に怒り心頭となってしまいました。

食用だとしても、交配用だとしても、レース用だとしても、闘犬用だとしても、
命あるものに対する最低限の敬意すらはらわず、
お金稼ぎだけにがっつくことの
なんと情けないこと。
こんな扱いして、よくも商売してたな、こらっ表でろ。

自分が稼げなくなったからじゃあ殺しますって
あんまりじゃあないですか。


命を扱う仕事は、とことんまで全うする覚悟でしなきゃあ駄目ですよ。違いますか。

せめて、せめてお嫁入りがうまくいくようになぜちょっとのシャンプーと水を使って
洗ってやれないのだろう。
かつてこの犬たちの体を使って、自分の生活がなりたっていただろうに、
そんなこと、どうでもいいってどういう考えなんだろう。

ペットとの出会いというのは本当に出会いものでして、
その瞬間って永遠に覚えておきたいくらい
ぱーっと明るくなる瞬間なんですね。
「あ、この子だ」て
迷いも心配もその瞬間にすーっと消え去るんです。
その瞬間の気持ちってこう心の臓がぎゅるっとなるというか、
なんともいえない素敵なものなんですよ。(9年前思い出して涙でてもた)

だからその瞬間がくることを期待して、
1時間くらい一匹ずつみていったのですが、
どうしても魂がよばれない。

なんでだろうと肉食にいったところ、
あの犬達は人と遊びたい、人になでられたいという気持ちをもてる
環境でそだっていないから
気持ちが合わさるところがないんだよ
と。

なるほど。
どれか一匹でも育てたかったのが私の気持ちだったのですが、
どうしてもうちの子になるというものがみつからず
まさかの手ぶらで帰ってきてしまいました。

それも人生(というか犬生?)というのは簡単なのですが、
でもね、体をかいてもらったり、散歩につれていってもらったりって希望をもって、
それが叶う人生(というか犬生)を送っている犬をみると
本当にやるせないんですよ。
それなのに
一匹も助けなかった自分に
罪悪感。

今、まだあの心底ぞっとする情景が忘れられない。

自分の周りにいる命は本当に大事にしようと思いました(含肉食)。せめて。
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