きなことアーモンド粉がたっぷりのこうばしクッキーです。
かくれ超甘党の肉食母に差し上げました。(でもかたくなに甘いものを拒否するモーションは忘れない)
人をカテカテゴライズする
というのは最悪な態度だと思いますが
正直
私の人生の中には
2度とあいたくない人が片手で数えられるほど
どうでもいい人(=見知らぬ人)があまた
なにがなんでも幸せになってほしい人は上記2カテゴリー以外の人と
3段階ありましてね。
でも一番最初の2度とあいたくない人達のことだって
「死んじゃえばいい」なんて絶対に思わないです。
さまざまな苦しみが人生にあるとはいえ
人の命、自分の命を人間がどうこう決めたり、どうこうなってしまえと考えたりすることは
どうしても正しいと思えないわけでして。。
どんなに悪い人が殺されても、または自殺してしまったとしても
それをもろ手をあげて喜んでパーティという光景は
正直ぞっとします。
人殺しは正義をふりかざしてなされるものではないと
私は教わって育ってきたのですがそれは間違いなのでしょうか。
片頬なぐられたから脳みそぶっとぶまでなぐりかえすというのが
正義であるのならば
平和というものは絶対に実現されないと思うのですが
幼稚な考え方でしょうかね。
幼稚な考え方ならばそれはそれでけっこう。
なんか暗くなりましたが
これも突然砂糖の量を制限したからの反応なのでせうか。
ありうるな。サクマのドロップでもなめとくかな。
ピース!
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4 件のコメント:
これは重い問題ですね。当たり前だけどNYで歓喜していた人たちはほんの一部で、大多数の人たちはあまり話題にしていません。(何も思っていないわけではないが)。WTCで兄を亡くした友人がいるので、私も複雑な思い。NY Timesのここ(http://ow.ly/4MuOK)が興味深いです。いろいろな見方が読めます。小学校でこの件についてhumaneかinhumaneかという討論をしたところもあったようです。みな複雑な思いじゃないかな。
このサイトじっくり拝見しました。
当然ながら色々な見方があって、それぞれの意見や思いがあるのだなとは感じました。
マスメディアのハイライトのしかたも多分にあるでしょうし、やはり本国内にいないので私はニュースをみたり読んだりして感じるしかないのですが、
そしてここが私の幼稚なところであるのですが
どうしても個人として考えてしまうから
世の流れとずれるのでしょうね。
ですから理由はなんであれ、そしてそれがいたしかたないことだとしても、暴力、殺戮、傷害、そういったものにはどうしても過剰に反応してしまうんですよね。。
小学校での討論での結論はどうなったのでしょうか。
これからの未来を担う子供達の率直な感想を聞いてみたいものです。
小学校の討論について詳しくは聞いていないけど、おそらくどちらが正しいという「結論」はありません。それがアメリカの学校での討論のやり方。対立せずに違う意見を述べ合うという態度を学ぶようです。これは日本でも取り入れればよいなと思います。
OBLについて他の友人(彼女もあのビルで働いていて走って逃げた)が「私にとって彼が死んだというだけ。それ以外は何もない」と。911経験者にとってはこれが代表的なリアクションかもしれないと思いました。
私に子供がいたとして、学校でこの件に関しての討論があったとしたら、死に死をもって贖うという考えは絶対に間違っているという気持ちに最終的なるようにもっていってほしいと「結論」がないスタイルだとしてもしてほしいと思いますね。
これも親によって考え方や方針があるとは思いますが。
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